寺地拳四朗の今後の試合は?父親もプロボクサーで竹原慎二と試合していた!

2014年にプロデビューしてから、わずか3年で世界への切符を手にして、見事世界チャンピオンになった拳四朗さんでしたが、2020年の11月26日発売の週刊文春で不法侵入及び器物破損をおこなったとして記事になっていました。

寺地拳四朗さんと言えば2020年12月19日に同級1位の久田哲也さんとの8度目の防衛戦が決定していましたが、どうなるのでしょうか?

今回は寺地拳四朗さんの防衛戦がどうなったのかや今までの成績は?など今後は反省して新たに頑張ってほしい気持ちで調べてまとめてみました。

ファンA

寺地拳四朗さんに何があったの?12月の防衛戦楽しみだったのに!
なんか泥酔して他人の車を壊したみたいだよ!

ファンB

ファンA

えっまじで!
しかも、やったのは7月で早くから警察に事情徴収うけていたみたいだね。

ファンB

ファンA

どうして、わかったの?
週刊文春で記事にでてわかったみたい

ファンB

ファンA

お酒って怖いね!12月の試合はどうなるのかな?
すでに示談が成立しているから、後はJBC(日本ボクシングコミッション)の判断になるんじゃないかな!

ファンB

ファンA

被害者の方は辛いけど、反省してボクシング続けてほしいな!

ファンA

だよね!防衛戦みたいね!

寺地拳四朗さんの今後は!

2020年7月に泥酔して自宅外のマンションに侵入し車を破損したとして話題になっているが今後の試合が気になりますね。

12月には8度目となる防衛戦を控えていましたが、どうやら白紙になってしまったようです。ファンの方にとったら凄く悲しい結果ですね。

お酒を飲んで記憶がなくなるほど、飲んだのでしょうね。芸能人のかたでも多くの方がお酒で失敗を繰り返している方もいますので、今後の復帰に期待ですね。

被害者の方とは示談が成立しているようですので、今回は深く反省して、リングの上でもう1度輝く日が来ると期待しています。

寺地拳四朗のプロフィールや戦績は?

拳四朗という名前の由来は、父親の永さんがつけており、漫画北斗の拳の主人公ケンシロウからつけているそうです。なんとなくはそんな感じがしていましたが、父親は強さに憧れているのですね。

因みに拳四朗さんの入場曲は北斗の拳の「愛をとりもどせ!」ですが、拳四朗さん自身は北斗の拳の漫画を呼んだことがないそうです。

プロフィール

名前:拳四朗(けんしろう)

本名:寺地拳四朗

出身地:京都府城陽市

生年月日:1992年1月6日

身長:164cm

大学:関西大学

職業:プロボクサー

所属:B.M.Bボクシングジム

階級:ライトフライ級

戦績

アマ戦績:74戦58敗(20KO)16敗

プロ戦績:11試合11勝(5KO)無敗

プロ獲得タイトル:

・第39代日本ライトフライ級王者

・第35代OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者

・WBC世界ライトフライ級王者

寺地拳四朗さんの経歴

拳四朗さんは中学3年生の時に、元プロボクサーの父親から半ば強引にボクシングを進められて始めています。

しかし今の活躍を見る限り、本人の努力なくしては残せない成績ですよね。

そんな寺地拳四朗さんですが、高校時代には2学年下の井上尚弥選手に敗れていますね。

大学時代には成人男子ライトフライ級にて優勝し、全日本選手権では準優勝を果たしています。大学を卒業と同時にプロ入りを決意して、父親が経営しているジムからプロデビュを果たしています。

拳四朗の父親は竹原慎二と試合していた!元議員としても当選!

https://twitter.com/redink_0715/status/1227233656931930112?s=20

拳四朗の父親もプロボクサーとして有名ですが実績はどうだったのでしょうか?

寺地永さんは立命館大学でボクシング部に所属しており、大学時代のアマの成績が「49勝25KO3敗」とかなりの好成績をのこしていますね。

その後は大学を卒業して商社として働いていたが、ボクシングへの道が忘れられずにプロの道に進んでいます。

重量級とは思えないスピードと、小技のうまさもありテクニシャンとして知られていまた。

プロフィール

名前:寺地永

生年月日:1964年4月5日

年齢:56歳(2020年現在)

出身地:京都府城陽市

階級:ミドル級、ライトヘビー級

プロボクシング戦績

総試合数:24

勝利:20

KO勝:11

敗け:1

引き分け:3

プロ成績!

1989年7月にスーパーウエルター級でデビューし1RKO勝利をし、階級をミドル級に移して日本タイトルに2度挑戦していますが、2回とも10R引分で奪取ならずに終わっています。

1991年10月に日本タイトルを奪取した竹原慎二に1992年2月に挑んだが2RKO負け。これが寺地永プロのプロとしての敗北になりました。

この試合前には、竹原慎二さんとのガン付けに負けじと睨み返し、竹原さんが激高して、レフリーが割って入るというエピソードもありました。

寺地拳四朗さんの強さは父親譲りなんですね。

その後竹原慎二さんが返上したタイトルを王者決定戦で手に入れたビニー・マーチン選手に1993年8月に挑み、10R判定で念願の日本タイトルを手に入れています。

引退後は?

4回の防衛に成功しているが、日本国内でも少ない重量級ということからスパーの相手も不足していて、挑戦者も現れず1年間試合が行えないこともありタイトル奪取を東洋太平洋ボクシング連盟に宣告されるなどの不運もあり、2001年10月に37歳という年齢で引退しています。

2003年には現役時代の後援者の後押しもあり、城陽市市議会議員に民主党公認で出馬し、14位で当選して市議となっていて、2期努めています。

その間にもスポーツジムを設立しており自身でも会長に就任しており活躍していますね。

まとめ

不祥事を起こしてしまった寺地拳四朗さんですが、ボクシング選手としての実力もあり、父親譲りの強さもあるため、今後は反省して頑張ってほしい気持ちでいっぱいです。

世界的にも評価されている寺地拳四朗さんが、具志堅用高さんが持つ13度防衛の日本記録に挑戦してくれることを願って、今後の展開に期待したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です