渡る世間やおしん、春日局など数々の名ドラマを数多く手がけていた脚本家で劇作家の橋田先生こと橋田壽賀子さんが死去したことが2021年4月5日に分かりました。2021年4月4日の午前9時頃に亡くなったという橋田先生です。
年齢も95歳と高齢ですが突然の報告に驚いているファンの方も多いのではないでしょうか?
2021年3月24日には、北の国からで名俳優を務めた田中邦衛さんが88歳という年齢で他界しており悲しみに残る芸能界の世界での出来事が新しい中での橋田先生こと橋田壽賀子さんについての悲しい報告です。
今回はそんな橋田先生こと橋田壽賀子さんには家族はいるのでしょうか?少々不謹慎かもしれませんが、橋田先生のご冥福を願いながら調べてまとめてみました。
橋田先生に家族はいるの?
橋田先生には1966年に結婚した岩崎嘉一さんがいました。
岩崎嘉一さんとは、橋本先生が41歳の誕生日であり東京放送のそ立記念日である1966年に結婚し、その当時は岩崎嘉一さんはTBSプロヂューサーでした。
しかし、橋本先生の夫である岩崎嘉一さんが1988年9月24日に肺腺がんの宣告をこのことを知った夫は自殺するかもしれないと思い「夫には本当のことは言わないでください。」とお願いした橋本先生でした。
病気になった夫である岩崎嘉一さんも大変だったでしょうが、隠し通さなければいけない家族である橋田先生もかなり辛い思いがあったでしょうね。
1989年9月に夫の岩崎嘉一さんが他界してしまいましたが、岩崎嘉一さんとは別荘地として知られる「熱海自然郷」で暮らしていたそうです。
橋田先生は当時を「私は若くして両親を亡くしている。一人っ子なのできょうだいもいない。そしてたった一人の家族だった夫を、こうして失った。」とお話してくれていました。
静岡県熱海市で柴犬の「さくら」と暮らし、東京〜熱海間を往復する生活を送った。自宅は急峻な玄岳の頂上付近にあり、自動車を自ら運転して往復していたようで運転やドライブして楽しんでいたのでしょうね。
橋田先生の出版した本についても紹介しておきますので気になる方は参考にしてみてくださいね。
橋田先生の家族のような存在、泉ピン子!
最後の橋田先生を見送った泉ピン子さんですが、「今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田先生とご主人には本当に娘のように可愛がっていただいきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います」と思いを述べてくれていました。
熱海で最後まで一緒にいれて本当に良かったですね、橋田先生も本当の家族のような存在に泉ピン子さんのことを思っていたのでしょうね。
橋田壽賀子と言えば
泉ピン子— ノノノ (@sukisuki4news4) April 5, 2021
泉ピン子さんが橋田先生を最後に看取る際にも、泉ピン子さんが「ママ」って叫ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたそうで橋田先生も最後の力を振り絞って娘のような存在の泉ピン子さんの顔を見たのかもしれませんね。
これから、橋田先生と泉ピン子さんのやり取りが見れなくなってしまうと思うと寂しく、悲しいですね。
橋田壽賀子さんと泉ピン子さんの掛け合い見られなくなるの悲しいな。
— y (@yu_l09) April 5, 2021
橋田先生の家族のような存在、石田ふく子プロデューサー!
橋田先生と60年以上のお付き合いをしている、石田ふく子プロデューサーがいます。
年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合っていたそうで、毎日電話してお話していたそうです。
一日電話しないと「どうしたの?」と心配されることもあり本当ん家族のような存在だったのですね。
そんな石田ふく子プロヂューサーは橋田先生がご結婚するときには仲人を務めるほどの間柄でかなり信頼さらた仲だったのでしょう。
まとめ:橋田先生に家族や相続する人はいるの?仲のいい親友は石田Pと泉ピン子!
渡る世間やおしん、春日局など数々の名ドラマを数多く手がけていた脚本家で劇作家の橋田先生の突然の訃報で多くのファンが悲しんでいると思います。
家族のように接していた泉ピン子さんや石田ふく子プロヂューサーを今後は空の上から橋田先生は見ていてくれるのでしょうね。
ご冥福をお祈りします。最後まで読んでいただきありがとうございました。